【特集】知って学ぼう!習志野分屯基地(前編)

創隊55周年を迎えた「航空自衛隊のミサイル部隊」

創隊55周年を迎える第1高射群

自衛隊ファンならご存知、ゆるキャラ「パックさん」でお馴染みの「第1高射群」は今年創隊55周年を迎えます。55年の歴史を誇る部隊でありながら、正直自衛隊を応援する立場の我々編集部員も「航空自衛隊といえば飛行機」というイメージが強く、高射隊に関しては恥ずかしながら詳しく知らない事ばかり・・・ 「自衛隊を知って学べる」自衛隊大作戦としてやるべき事はこれではないかと思い、今回初めて高射隊の特集を組ませて頂くこととなりました。

本文は自衛隊大作戦と一緒に自衛隊を勉強していかれたい方に向け、ライトな記述・表現を使用しておりますが、自衛隊の主任務は国を武力から守る国防であり、何かが起きれば危険を伴う大変厳しい仕事です。 しかしその厳しさの中でしか育まれない人の強さや優しさも兼ね備えているのが日本特有の組織:自衛隊の魅力であると思っており、普段なかなか見る事ができない自衛隊や自衛官の姿を独自に取材させていただき、装備の格好良さだけではない「人や組織」を感じる記事を皆様にお届けしていければと思っております。

今回は知られざる「地上の航空自衛隊」の歴史や任務、イベントなどについて前編・後編の2回に分けてお送りいたしますので、皆様と一緒に勉強していければと思います。 それではさっそく高射隊の魅力に迫って行きましょう!

打ち合わせ初日となった某日は物凄い猛暑日。 基地でいただいた冷たい麦茶のコースターをよく見ると、さりげなく「弾職人- MISSILE MASTER」の文字が! もちろん部隊の手作りのコースターではないでしょうか。取材を終えた今思うと、このさり気ない遊び心は「いつ何時何が飛んで来ようとも必ず迎撃・阻止する!」という強い決意や厳しい訓練を重ねられているからこその職人(ミサイルマスター)としての自信と、部隊全員の誇りであるという事がわかります。 その高射隊とは一体どんな部隊なのか? まずは組織と歴史から入って行きたいと思います。

地上の守りを担う航空自衛隊:高射群!

基地や戦闘機が中心となる組織の中の「地上の精鋭ミサイル部隊」 航空祭でのPAC-3発射機の展示や特撮に出てきた白く大きなミサイルの姿は印象に残っていらっしゃるのではないでしょうか。 現在、航空自衛隊において「高射隊」は第1〜第6の高射群と合計24の部隊により日本の領土に迫る主に弾道ミサイル等の脅威に対処する任務に就かれています。 6つの高射群は以下のとおり。 航空祭でもおなじみの基地の名前が並んでいますね。
第1高射群:入間(埼玉) 、第2高射群:春日(福岡)、第3高射群:千歳(北海道)、第4高射群:岐阜(岐阜)、第5高射群:那覇(沖縄)、第6高射群:三沢(青森)。 それぞれの高射群は、それぞれの地において、日夜防空任務を行っています。

今回取材させて頂いた第1高射群 第1高射隊(習志野)
チームワークの良さが練度の高さに繋がっているのが普段のコミュニケーションからも感じ取れ、「弾職人」というキャッチコピーも組織全体の成長や団結力に繋がっているようです。 PAC-3発射機の大きさがわかりますね!

習志野と国防の歴史に触れてみる

千葉県習志野に所在する第1高射群、第1高射隊へと取材の目を向けていきましょう。 千葉県の習志野(ならしの)市という地名は首都圏では当たり前に知られる千葉県の地名であり、自衛隊をよく知るかたであればその知名度は全国に知られる地名ではないかと思われます。 それもそのはず、地名の由来は明治天皇の「習え篠原」(演習で見事な指揮を見せた篠原小将に習え)という言葉が元になったとされ、富国強兵が推進された明治時代の習志野騎兵隊にはじまり、硫黄島防衛に携わられた事で有名な栗林中将、太平洋戦争末期に沖縄奪還に向け飛び立った義烈空挺隊、そして現在の陸上自衛隊の”精鋭無比”「第1空挺団」に至るまで習志野は国防の歴史に深く関わっている地域であり、またそこに携わった防人の歴史が今も語り継がれる場所となっています。 そんな習志野に航空自衛隊があるという事実はまだあまり知られていないか、知っているけれど詳しくない?ような状況ではないでしょうか。 歴史が語るように「習志野=陸上」のイメージは強く、近隣の住民の方々も空自の存在を認知されていないケースも!? 何となくそんな雰囲気を払拭すべく、習志野の第1高射隊(通称:1高隊)にさらに迫ります!

 

続いて習志野分屯基地に迫ります!→